IIAS竹本修三フェロー研究会「京大地球物理学研究の百年(その2)」(2009年11月7日)


京都大学の研究(1930-1990)が地球電磁気学発展に果たした役割
加藤進(京都大学名誉教授、京都大学理学部卒1952年)


加藤 進加藤 進加藤 進

&1 Sq(静穏日地磁気日変化)の研究

1.研究のはじまり

 京大で地球電磁気学研究をはじめたのは、長谷川万吉先生である。これ以前この研究が皆無ではないが、国際的に認められる成果を挙げ、論文として國際誌に載った研究は、彼の仕事が初めてである。1936年、彼が京大地球物理学教室の助教授のとき、静穏日地磁気日変化(Sq)に関する研究が英文の論文として、帝国学士院紀要(Proceeding of Imperial Academy, Tokyo,1936) に載った。これは東京帝国大学名誉教授で貴族院議員である田中舘愛橘先生の推薦によるものであった。
 この長谷川先生の研究がChapman and Bartels 著 Geomagnetism (Oxford, 1940)で詳しく紹介された。この著書は今でも地磁気研究のバイブルと言われている権威のある教科書だ。ここに京大における地球電磁気学の研究の歴史がはじまったと言えるだろう。

2.長谷川先生のSq研究とは

 Sqの研究は19世紀末に始まった。長谷川先生がSqの研究に興味を持ったころのこの研究の國際的状況は次のように纏められるだろう。
 19世紀末、英国の学者B. Stewart(1883)、A. Schuster(1889)はSq研究ですばらしい業績を挙げた。後者は、すでに行われていたグローバルな地磁気観測データーを集めて、各観測点の太陽時に従って日変化する地磁気成分を取り出し、その原因が地面より高い場所にあることを突き止めた。地上で観測するSq場がポテンシアルを持つはずだから、ポテンシアル論により数学的にそれを証明した。その結果、Sq変動の源は地面より高い領域に流れる電流によるものであり、それは高い空に電気伝導度を持つ領域があるからだと想像した。後、1924年 E. Appletonにより発見された電離層がそれであった。
 後者、Stewart はこの電離層に電流を流す起電力は何かと考え、大気潮汐運動ダイナモメカニズムを想像した。つまり、電離層の大気の潮汐運動で、地球磁場の影響で、イオンと電子が違った運動をする結果、電流になり、これが地磁気を変動させ、それが地上に伝わり、Sqとなる、こう想像したのだ。
 この2名の英国学者の研究で、20世紀初頭には、Sq電流系の姿が分かっていた。その姿は第1図にあるように、赤道を挟んだ南北側に対称に存在する一対の巨大な電流渦である。ただし、この電流系は水平2次元電流系と仮定し得られた電流系なので、飽くまでも等価電流系だ。このSq電流系が長谷川先生の出発点であった。
 1932年行われた第2極年の国際共同観測年(2nd Polar Year)に得られたSqデーターを解析し、この等価電流系を詳しくしらべたのが長谷川先生の研究である。第1図に示されたものは、長期の平均した結果だが、長谷川先生の研究は、このSq電流の渦中心が、実は、毎日、南北に変動する有様を明らかにした。図にあるように、中心は平均的には、中緯度30度、丁度、九州の阿蘇山の緯度だが、実際は15度から、45度まで日々移動する。
 この興味あるSq電流渦中心の移動はなぜ起こるか。これに関する説明は長谷川先生の論文では一切説明されていない。実は、この説明を得るには、半世紀、天気予報に使われる大気大循環モデル(GCM)の時代が到来し、これを使った大型計算機シミュレーションの活躍する時代を待たねばならなかったのだ。だが当時、長谷川先生の仕事は地磁気日変動研究の大きな発展と認められ、1950年、日本学士院賞受賞に輝いた。

3.長谷川先生のSq研究は電離層電磁力学研究の源流

 長谷川研究室に集まった若い研究者は、長谷川先生のSq研究を新しい方向に発展させた。彼らはSq等価2次元電流系が電離層を実際流れると仮定して、地上で観測のSqデーターから、電離層の水平電流Iが分かり、さらに電離層電子密度測定結果(当時可能)を使って、電離層電気伝導度Σが分かるので、風速W、 電場Eが分かると考えた。これは、原理は一般オーム法則の適用だ。この研究は電離層電磁力学の研究の源流となり、國際的な注目を引いた。
 この研究に参加したのは、広野求和氏、前田坦氏と著者だ。この3名の研究は風の取り扱いが違っている。広野氏はdiv W=0, 前田氏は,curl W=0, 著者は、面倒だが、大気潮汐の運動方程式を用いた。このように、扱いには異同があったが、重要な共通の結果が得られた。それはWの1日周期成分が、半日周期成分よりずっと大きいことである。 地上での気圧変動観測は、この結果と違って、大気潮汐の1日周期成分は半日周期成分よりずっと小さい。また、これは地上近くで励起され、電離層まで垂直伝播する大気潮汐を説明する理論と矛盾し、ここに新しい重要な問題が現れた。 このSqによる電離層の風の研究結果、特に著者の大気潮汐方程式利用の結果は、J. Dungey著 “Cosmic Electrodynamics (1958)”に載っている。
 他の研究成果もある。広野氏は磁気赤道Electro-jetが異常に大きな見掛けの電気伝導度を持つ理論を提出した。すなわちそれは赤道磁場が水平性であるため、発生する異常に強い垂直分極電場が原因であるとした理論だ。また前田坦氏は、Sq から推定した電場を用い、電離層の電子密度の日変化を旨く説明できることを示した。これら研究成果は当時のSGEPSS 学会誌JGGに載り、この雑誌の國際的評価を高めたと言われた。
 長谷川研の研究会には、しばしば東大の永田武先生と京大工学部の前田憲一先生が参加された。この両先生の参加は大きな意義を持つ。永田先生はSqではなく、Dつまり擾乱磁場変動の研究を専門にしていた。また前田憲一先生は、日本における電離層研究の草分けである。両先生のおかげで、長谷川研の研究会参加により、Sqのみならず、D、電離層一般の世界の研究状況を理解できた。時には、研究会は激論の場となり、若い著者を興奮させた。かくして著者はまことに楽しく恵まれた研究生活を過ごすことができた。

4.Sq研究の発展と行方は

 1957年、長谷川先生が停年退官し、先生の研究室は消えた。Sq研究の輝かしい時代は終わった。人は去った。だが、長谷川研究室の消滅は、Sq研究の消滅ではなかった。 別天地で、世界的流れに沿って発展していた。別天地で、世界に先駆けて、新しい学問の源流が生まれていた。
3節で示したように、Sqより電離層の電気伝導度、電界、風を推定した研究成果は世界の注目を引いた。特に風の推定結果である。つまり、1日周期の風が半日の風よりずっと大きいことの発見である。 やがて、この解決が著者の課題になり、その解決成功は、1日大気潮汐波理論の確立となった。成果を述べた論文は JGR (1966) に載った。この理論は、広く、大気潮汐古典論の確立となった。さらに、気象学で重要な役割を演じるプラネタリー波など、大規模大気波動一般の理論的解明に繋がった。この成功は、理論的アイデアが著者の頭に浮かんだからだけではなく、当時、京大に初めて導入された電子計算機KDCIが身近にあったからであった。当時、著者は京大工学部電子工学教室講師で KDCIのソフト・エンジニアを務めていた。これが幸運をもたらした。工学部が著書の新天地になった。
 これに関したエピソードを紹介しておく。米国地球物理学会誌JGRに投稿したが、この論文は、従来の大気潮汐論から大きく違った理論的発見に思えたので、投稿間もなく、原稿のコピーを、シカゴ大のC. O. Hines氏に送り、意見を求めた。すぐに彼から返事が届いた。それは、同じ内容の論文を、彼と同じ大学の気象学者Lindzen(実際は、R. Lindzenの名前は匿名)が、同じ内容の論文を、密かに発表しようしているので、至急投稿せよとの勧告だった。彼には、いまでも感謝している。ただ、この理論発見者は、果たして、私か、またはLindzenか、これは今でも國際的謎らしい。1980年代、この謎解明に関した質問状がHinesから届いたが、真相は不明だ。
 もう一つの成果は、大気観測の重要な技術の源流が、Sq研究で活躍した広野求和氏により創られた。それは、彼によるLIDARの大気観測のアイデアだ。

 長谷川研の消滅に際し、広野氏は、長谷川研の助手を辞めて、郵政省電波研究所に移り、量子電子工学を根本から勉強し、レーザーの研究を始めた。当時、彼の研究は電波研究所の貴重な新知識だったらしい。当時、しばらく(1962 - 1964年)、著者はオーストラリア政府のCSIRO所属の上層大気研究所で研究官(Research Officer)として働いていた。広野氏が、自分もそこで働きたいと著者に伝えて来た。所長のスコットランド人のMartyn 博士は著名な電離層物理学者でFRS (Fellow of Royal Society) でもあった。広野氏の優秀さを知っていたのでこの話に乗り気になった。前田憲一先生を経て、電波研所長に伝えて貰ったが、広野氏を手放すことは出来ないとの所長拒絶が知らされた。これは、当時、広野氏が電波研で貴重な存在であったからだろう。
 後、九州大学物理学教室教授となった広野氏は、再び地球物理学に戻り、レーザーレーダーの大気観測を思いついた。これが世界に先駆けてのライダーの発明だ。はっきりしない記憶だが、これはある英国人研究者から聞いた話だ。ライダーはMUレーダーと共に中間大気観測の新しい技術になり、今や、ヘリウム・ライダーで電離層の中性大気運動の新しい観測技術も開発されつつあるそうだ。広野氏は九大を新天地として、Sq研究に重要な源流を創った。
 一方、1968年、地球電磁気講座構担当教授になった前田坦氏は、Sqを離れて、磁気圏研究に衣換えすると宣言した。彼がどんなビジョンをもち、どんな研究成果を挙げたか聞こえてこなかった。知られた活動には、理学部付置国際地磁気資料解析センター設立がある。長谷川先生が、IGY成果として自慢していた世界地磁気センターCの京大設置は、組織構想がなく、京大図書館に長らく仮住いした。前田坦氏は教授昇任後、彼の苦闘の結果、理学部付置国際地磁気資料解析センターに換えた。今や、教授1、助教授1、助手2の定員をもっている組織だが、このセンターが変わり行く学界で、如何に成長、発展してきたか。これは中期以後の歴史になるだろう。この紹介には著者は向かないだろう。




&2 Space Physicsの研究

1.研究の始まり

 1958年、IGY期間に、米ソの人工衛星が打ち上げられ、スペース時代が到来した。これに備えて、日本でもロケット、次いで人工衛星の開発が始まる。その目的で、1964年東大宇宙航空研究所ができた。それより一足早く、関連科学研究のために、東北大、東大、名古屋大、京大に研究施設が設立された。これが京大工学部電離層研究施設であり、教授1助教授1、助手2の定員を持ち、教授が大林辰蔵氏、私が助教授に選ばれた。この時、上述の計算機サービス業から解放された。また前田憲一研究室には、木村磐根助教授が誕生した。
 新しく命名されたSpace Physicsは、われわれ若い研究者には、まことに新鮮な響きをもった。この学問の定義ははっきりしないが、天気を支配する対流圏の上の大気を研究対象とする研究と言えるだろう。地球外、惑星、太陽まで広がる宇宙空間スペースそのものだけではなく、スペースに地球大気がどう繋がっているかを研究するのが、この学問の研究の立場だ。この研究は電離層研究の発展として始まった。電離層から上に向かうものと、下に向かう2つの研究の流れができた。京大工学部の前田研究室はこの2つの流れに乗った。

2.上向き(磁気圏)の研究

 前田憲一先生は、日本の電離層観測の草分けだけでなく、電離層物理学の研究でも國際的に知られていた。先生は1972年日本学士院賞の受賞者である。電離層F層の電子密度が、地理緯度でなく地磁気緯度に従って分布している、つまり電離層電子密度分布の地磁気コントロールを受けている。この発見は前田先生と同僚の研究論文になり、1942年日本語論文で発表されたが、後1944年、Appletonの同じ発見が英文論文で発表されたので、Appleton anomalyとして知られている。
 前田憲一先生は京大に赴任した1951年以後、木村磐根氏と共同で、電離層研究特に電離層・磁気圏の電波伝搬の研究をしたほか、日本でのロケット・衛星観測の創始者として活躍した。この観測研究では、大林氏が前田先生、木村氏の密な協力者であった。大林氏は米国での滞在中の知己も多く、米国衛星の磁気圏観測の情報に大変詳しく、その情報をいち早く、日本の若い研究者に知らせ、彼らを魅了させ、space physics研究の熱意を高めた。この業績は大きいと言える。
 木村氏の研究で特筆すべきは、磁気圏電波伝搬、特にホイッスラーと呼ばれる雷放電で作られる超低周波電波が電離層のカット・オフ周波数でありながら、地磁気磁力線に沿って、磁気圏深く浸入する特異性を詳細に研究した。米国学者の発見による現象だが、彼の初期の研究とは大きく違い、磁力線から大きくずれる可能性、そのずれの条件が磁気圏電子密度と如何に関わるかなど、木村氏の研究は大きな発見になった。これはRadio Science(1966)に論文として載っている。

3.下向き研究(MUレーダー観測)

 1960年代後半、著者が工学部付属電離層研究施設の教授に就任したころ、理論的研究に行き詰まりを感じてきた。数年悩んだ後、MUレーダー建設を思い立った。このレーダーは、日本の多くの研究機関から参加した大気、電離層の研究者のグループが15年に亘る議論と計画の結果、1984年秋、信楽山中に、世界の研究者の共同利用設備として、完成した。
 MUレーダーと名づけたこのレーダーは、直径100mの円形の人工盆地に、約500本の3素子八木アンテナを並べ、各アンテナが小型送受信機をもつアクチイブアンテナアレイ・システムだ。1メガワットの巨大パルスを打ち上げ、高さ数kmから500kmまでの大気から、散乱し、戻ってくるドップラーエコーを受信する。このドップラーエコーのスペクトルが散乱大気の運動の情報を持っている。これは星から来る光のスペクトル解析に似ている。MUレーダービームは、計算機制御で、瞬時に向きを変えることが出来るので、変動、移動する大気運動の追尾可能で、世界最高の能力をもつMST(中間圏、成層圏、対流圏)レーダーとして、国際的に高い評価を頂き、稼動以来25周年を迎えた今でも活躍している。昔、長谷川先生が発見したSq電流渦中心の日日変動の原因は、地上近くから電離層まで伝播する大気潮汐の変動によると判明した現在だが、この原因の途中の変動する大気運動をしらべることもできる。

 思えば、前田憲一先生に雇われ、電離層観測機組み立て要員に始まる10年余の工学部生活で得た著者の経験、工学者に囲まれていた環境。これがあったからこそ、MUレーダーは生まれた。でも、長谷川研で、大気波動を研究してきた著者がいなかったならば、工学部にMUレーダー建設の構想など生まれるはずもない。かくして、遂に、理学・工学の融合で、Sq研究は観測的証明にまでたどり着いたのだ。工学部は私の新天地になった。MUレーダー観測は、大気潮汐波、重力波を含む中間圏大気力学の観測に世界最高の威力を発揮しただけでなく、身近の気象観測にも重要な貢献をしている。これら潮汐理論とMUレーダ開発研究が、2つの賞の対象になった。一つは1987年の Appleton 賞(Royal Soc、London)であり、他の一つが日本学士院賞(1989)だ。

4.将来に向かって

 1990年以後は、工学部出身の松本紘、深尾昌一郎氏等、さらに若かった津田敏隆氏の時代が始まる。松本氏は大林、木村両氏の研究を引継ぎ、新しい道を開拓した。彼が進めたスペースプラズマ計算機シミュレーションはそれ自体研究になるだけでなく、ロケット・衛星実験の計画にも役立つ。また衛星上で行うスペース太陽発電という工学の研究もすすめられた。この計画は米国NASAで始められたが、実現性に乏しいと棚上げになった。松本氏はこの課題を取り上げ、その実現に必要な基礎を検討し、固めているのが現状らしい。
 深尾、津田両氏は私の参謀としてMUレーダー建設から、完成後の観測システム運用にも活躍して来た。彼等の活動はさらに広がってゆく。
 赤道大氣運動がグローバルな気候変動の原因になるので、その赤道大氣観測のため、MUレーダー建設に次ぐ赤道レーダー(EAR)建設を計画した。ここでは、深尾氏が計画遂行の中心になった。計画は1985年に始まったが、1990年代の経済バブル消滅の影響もあって、長らく計画推進は止まってしまった。この時、すでに停年を過ぎていた著者は、インドネシア共和国のバンドン工科大学で客員教授としてバンドンに住み、EARの実現、その活動時代到来に備えて、EARを使う大氣科学技術者を養成することに努めた。妻と一緒にインドネシア語を本格的に学んだ。これは著者夫婦には楽しい日々であった。この時、欧米から輸入の参考書が高価でインドネシアの学生には向かないので、それまでなかった彼等の言葉で書かれた大氣力学・レーダー観測の教科書をバンドン大学での助手2名と共著で、出版する計画を建てた。バンドン工大所属の出版社に出版をお願いした。が、運悪く、丁度政情が悪くなった1990年代末なので、出版は絶望だと知らされ失望のどん底に一旦立たされた。だが、幸運にも、出版援助を申し出た現地新聞社のおかげで、出版は成功した。心あるマスコミがインドネシアにも存在する事に感激した。
 われわれの努力はどうやら報われる時が来た。これは計画から16年後の2001年だった。EARはインドネシア・スマトラ中部にあるブキット・チンギ山頂に建設された。MUレーダーの約10%の出力だが、赤道にあるユニークなレーダーなので、赤道大気力学、電離層力学の観測研究のためにand躍している。この活動を支える津田氏とさらに若い同僚後輩の力を高く評価したい。




MU radar
Shigaraki, Japan,34.85 N, 136.10E: 46.5 MHz
Area radius 103m, Maximum power 1MW pulse, 475 crossed Yagi, Active phased array




EAR (Joint Operation by Kyoto Univ. and LAPAN)
Sumatra, Indonesia;0.20°S, 100.32°E; 47 MHz Area radius 110m; 560 Yagi, Maximum power 100kW pulse




加藤講演のpdfファイルはこちらからご覧いただけます。



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